仙元山

仙元山って知っていますか?堀内の人ならわかるかな。ハイキングコースにもなっている山です。この山の個人的な思い出について書いてみます。

子供の頃、日曜日の午後は果てしなく暇な時間だった。遊ぶところのない田舎町の葉山で、唯一の娯楽だったテレビは牧伸二の「はぁ〜ん、あ、やんなちゃったぁ〜」ぐらいしかやっていない。午後の日差しが、向かいの家の壁にオレンジ色の日差しをどんどんのばしてくるとすぐ夕暮れになってしまう。そんなとき、父が困ったことを言い出す。この場合彼が言うことは決まっていて、一つは算数の教科書を持ってこい、ということ、そしてもう一つは仙元山に上るぞ、というようなことだった。たぶん太りがちだった私と兄の兄弟の体を少しでも動かす意味があったのだろう。

今はそんなことはないが、当時の私は出不精だった。特に子供ながらに午後のまったりとした時間をじゃまされるのがイヤで、父のこのお誘いは大嫌いだった。しかし悪いことにこの山の入り口は家からすぐそば。休日で家族サービスに否が応でもテンションのあがる父のお誘いは簡単には断れなかった。

仙元山へは、今は葉山教会側からしか上れないようだが、当時は葉山トンネルの手前から当時は上れたものだった。そこから登り出すと急な土の道で階段とかは所々しかなかったと思う。雑木林の中を抜ける急な土の道だ。そのまま子供の足で10分くらい上ると、教会から来る道と合流して山頂へ目指す道へとつながっている。実はこの山は小山で山頂はすぐ見えるのだが、道は桜の木の間をジグザグにあがっていきなかなか山頂には行き着かないため、太り気味兄弟にはちょっとばかり手強かった。

山頂は、小山にはちょっと似つかわしくないくらい大きな無人の展望台と、なにかの碑文があった。展望台は、下から眺めるとベンチ形でさながら大男の椅子が置いてあるようにも見える。この展望台に上っては米粒(でもないか、小石くらいの大きさの)自分の家を探すのが楽しみだった。不思議なことに当時は、海に執着がなかったのか、海や富士山の記憶がない。自分の家の赤い屋根だけを覚えている。

ここで小休止した後、そのまま先へと向かう。ここからはちょっとした難所。かなり急な下り坂を下り切った後、今度は別名三角山というおにぎりのような形の三角形の山を尾根に反って縦に上る。ここはちょっとした難所だ。階段がありその横には大仰に鉄の鎖で手すりまでがついている。ちょっと汗をかく場所。「ここは皇太子様(今上天皇)も上られたんだ」。おとうさん、その話は何十回も聞いたよ。

三角山をすぎると、こんどは一転して雑木林の中の広めの道を通る。ここは快適な下りで、木々の隙間から新しい住宅地(多分東伏見台だろう)が見えてきて人里に降りてきたんだなあという気がする。ここまでくればあっというまで、旧焼却場の横を通って今の役場のところにあった旧福祉会館に出る。ここは今よりもずっとこじんまりとしている場所だったが、春にはつつじが一望できてなかなかいい施設だった。ここで瓶入りのコーヒー牛乳を(ダイエットにはあまりなっていない)買ってもらって、僕たちの定番ハイキングは終わりになる。

今自分が子供を持つ身になっても、休日には算数のドリルをやらせて、いやがる子供を連れて歩かせたりしているが、もう少し暖かくなったら、仙元山に上らせてみようと思う。たぶん福祉会館でジュースなど買ってみるに違いない。人間遺伝子に刻まれた記憶は変わらないなあと思う。